奇妙な店長の戯言部屋

百合好きオタによる妄想と百合の戯言な日々

百年の狗独

小説雑誌『群像』2月号(2008年01月07日発売)に松浦理英子さんの『犬身』の評論が載ってました。


前田塁さんによる評論
「百年の狗独―松浦理英子『犬身』をめぐって―」




24ページもあったので、読み応えはあるかと。
松浦さんの『セバスチャン』や『ナチュラル・ウーマン』に中にある犬に例えた表現から『犬身』の片鱗が見えたという話から、『犬身』の話、「読者」と「言葉」についてなどが語られます。




特におもしろかったのは、『葬儀の日』の

右岸と左岸は水によって隔てられている。同時に水を共有し水を媒介として繋がっている。あるいは水によって統合されている。

というのを、「右岸」「左岸」を「私」「あなた」、「水」を「言葉」に置き換えるという話。



やはりデビュー作である『葬儀の日』は松浦作品の基盤になってるのがわかる。
「言葉」があるから、「私」と「あなた」は一つになることはない。だけど「言葉」があるから繋がることができる。
というわけである。




今『親指Pの修行時代』を読んでいる最中だが、他の作品同様、言葉があるからすれ違うという部分が窺える。


自分が伝えた気になっても伝わってないことがあるんですね。




そして松浦作品の興味深いところは、「性の不在」や「男根主義の疑問」でしょうね。


『親指Pの修行時代』の正夫がものすごい「男根主義」です。
早く全部読み終えたいものです。
そしてこの『群像』を読んで、また『犬身』を読み返したい気分になりました(^^)