奇妙な店長の戯言部屋

百合好きオタによる妄想と百合の戯言な日々

殺し愛

殺し愛の百合ものと言えば、早瀬羽柴さんの『marriage black』ですかね。
敵対するマフィアの娘同士が惹かれ合うけど、殺し合うしかないという話。
まぁ、殺し愛とはちょっと違うのかな。



最近好きな人が「殺したい」って言葉がお気に入り。
「何してほしい?」
「殺してほしい」
「いいよ。殺して私だけのものにする」
「殺していい?」
「いいよ。あなただけのものにして」
「うれしい」



以前友達に「いつか女性に刺されるよ」と言われたので、「50才くらいで好きな女性に刺されて死にたい」って答えたら、呆れられました。
親友は「なんかわかる!『あっ…』ってやつだよね!」と共感してくれましたw
好きで好きで苦しくて、他の誰にも渡したくなくて殺しちゃうっていうああいうやつ。そのくらい愛されて死ねたら幸せだな。
「愛されながら殺されたい」って気持ちは分かるので、好きな人の言葉遊びにつき合っています。
たぶん死ぬ気なんてないんでしょうから。



松浦理英子さんの『ナチュラル・ウーマン』の中で、


 指を休ませないで花世が話しかける。
「お金が入ったら一緒に住もうか。」
「うん。」
「でも、きっと無理よね。」
「無理かしら?」
「無理よ。」
「無理なの?」
「どちらかが死ぬわ。」
「私が死ぬことはないだろうけど。」
 花世は口を閉した。私は再び陶酔境に入った。


ここのシーンがとても印象的。
好きで好きで溜まらなくて、嫉妬で頭がおかしくなってきっと殺してしまう。一緒にいたら離れられなくなってしまう。そのくらい深い深い愛情を感じるシーンです。
でも言葉のすれ違いから想いが伝わらず、お互いの本当の気持ちを知らないまま恋に溺れています。



殺したいくらい愛してる。
好きだから殺したい。
相手の人生を終わらせることは最も強い束縛でしょうね。
本当は一緒に生きたいですけど、一緒に生きることが叶わないのなら、一緒に死ねたらと思ってしまいます。
でも今すぐ死ぬのはやっぱり怖いので、願うのはお互いが別々の道を歩いた末に、幸せの中で同時にお互いの心臓が止まればいいのに。
中山可穂さんの『花伽藍』に収録されている「燦雨」みたいに。


「もしゆきちゃんが先に死んだら?」
「あたしも死ぬわ。すぐ死ぬわ」
「自殺するの?どうやって?」
「自殺じゃないわ。ゆきちゃんの心臓が止まるとね、あたしの心臓も自然に止まるの」
 伊都子は大まじめに言った。
「何それ、どういうこと?」
「そうなりますようにって、毎日お祈りしてるからね」
「ふうん、そうなるといいねえ」
 丸尾くんは電気を消して布団に入った。
「そうなるわよ。きっと」
 それは伊都子が倒れてから、いや、ふたりが一緒になってから、脳の血管が切れそうなくらい願って願って願い続けたことだった。ふたりはもはや一心同体であり、どちらかが死んだら生きてはいられないほどに、深くつながっていたのである。


「燦雨」は年老いた女性カップルの話です。
不倫の末にかけおちし、年老いてもなお何度も惚れ直し、いつまでもお互いを思いやるカップル。
おそらくたくさんのレズビアンカップルがこんな人生を送りたいと願ったことだと思います。
一緒に手を取り合って死にたい。



相手が死ぬときに自分の心臓も止まればいいのに。
例え遠く離れていても、その瞬間は自分のことを思い出してくれるかもしれない。
しかし付き合ってもいないのに、ごっこ遊びもいいところですw
みんなどうやって恋人との距離を取ってるんでしょうね。
好きになればなるほど独占欲や嫉妬、寂しさと幸福感がない交ぜになった感情がうごめきます。
愛情を持て余してるから、あまり好きにならないよう距離を置かないと平常心を保っていられないです。