親指Pの修業時代 下巻 (松浦理英子)
- 作者: 松浦理英子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/04/05
- メディア: 文庫
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<あらすじ>
性の見せ物一座〈フラワー・ショー〉の巡業について回っていた一実と春志。最終公演後、春志の友人という男が春志に話しかけてきた。再会を喜ぶのもつかの間、春志は一実を残して、その男とどこかに行ってしまった。失意の一実に、また一緒に旅に出かけないかと繁樹が声をかける。〈フラワー・ショー〉の手伝いをし、少しずつ元気を取り戻し始めた一実。そして次第に映子に対し……。
以下ネタバレ
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意外な展開を見せ始めた下巻です。
まさか春志が一実のもとからいなくなるとは思いませんでした。
でも映子との兆しは上巻から少しだけありましたね。
後半は<フラワー・ショー>のメンバーとのやり取りがメインとなり、一実と映子の恋愛関係が描かれます。
登場人物の濃さに圧倒ですね。
それぞれがそれぞれの考えを持っていて、いろいろな恋をしているんです。
映子に触れられたときの一実の描写が好きです。
親指ペニスをこすられる時の鋭い性的快感ではないが、身も心も休まり、いつまでも触れていてほしくなる。この幸福感は何だろう、と私は訝った。
その感じ、わかりますよね。
好きな人に触れてもらえるだけで幸せな気持ちになる。
性的な接触など望まず、ただ触れてほしいという気持ち。
このあとはいつものパターンなんですよね。
でもまあ、ある意味、松浦作品のテーマみたいなもんですが。
「言葉があるからあなたと繋がっていられる。言葉があるからあなたとひとつになれない。」
そしてもう一つ、性とは?というテーマ。
「やめた方がいいよ、レズなんて。女と女の間からなんて何も生まれないんだから。男に相手にされないような不細工な女ならレズになるのもしかたがないけど」
上巻でも出てきた舞台監督・宇多川という男が言っていたセリフ。
いまだにこうゆう考え方をする人いますよね。
それに対して一実が、
女と女の間からは何も生まれないと言うなら、男と女の間からだって子供以外にいったい何が生まれると言うのだろう。
と内心思う。
極論と言えなくもないが、店長の立場からすれば一理あると思います。
同性愛について否定的、肯定的な人物が現れる。
同性愛を扱った場合否定的な人物が強く現れるのはしょうがないにしても、この作品で出てくる宇多川は典型的な嫌なやつです。
男に相手にされる女であれば男とつき合っていればいいなどと、女は自分の欲望ではなく男の必要に応じて性向を決定すべきである、と暗に強制するような奢り高ぶったものの言いかたがなぜできるのだろう。
この作品が91年に書かれたものだからこうゆう古い考えが出てくるのだろうか。
しかしそうではない。現代でもこうゆう考え方のやつは意外といる。
ある知り合いを彷彿とさせ、少しうんざりとなってしまう。
甘々な雰囲気からピリピリした雰囲気に変わり、目が離せない展開の連続。
そして物語は終わりへと近づき、、、
うーん。みんなが幸せになれるオチではありますが、ふたりが幸せになれるオチではありませんね。
大団円ではあるけど、ハッピーエンドじゃないみたいな感じです。
性器結合への疑問を投げかけたような話で、とてもおもしろかったです。
下巻には旧版と同じく、松浦理英子の早稲田での講演会「親指ペニスとは何か」が収録されています。