奇妙な店長の戯言部屋

百合好きオタによる妄想と百合の戯言な日々

映画「チョコレートドーナツ」

先日友達とゲイ映画を観てきました。
ぱっと考えてゲイ映画は観に行ったことなかった気がするので、今回初めてゲイ映画を観たかもしれません。
「わたしはロランス」はゲイ映画というよりも女性になりたい男性が、女性の恋人ともがいて懸命に愛し合おうとした話でしたし。



チョコレートドーナツ




公式HP
http://bitters.co.jp/choco/


<あらすじ>
僕たちは忘れない。ぽっかりと空いた心の穴が愛で満たされた日々ーー。
1979年、カリフォルニア。シンガーを夢見ながらもショーダンサーで日銭を稼ぐルディ。正義を信じながらも、ゲイであることを隠して生きる弁護士のポール。母の愛情を受けずに育ったダウン症の少年・マルコ。世界の片隅で3人は出会った。そして、ルディとポールは愛し合い、マルコとともに幸せな家庭を築き始める。ポールがルディのために購入した録音機でデモテープを作り、ナイトクラブへ送るルディ。学校の手続きをし、初めて友達とともに学ぶマルコ。夢は叶うかに見えた。しかし、幸福な時間は長くは続かなかった。ゲイであるがゆえに法と好奇の目にさらされ、ルディとポールはマルコと引き離されてしまう……。
血はつながらなくても、法が許さなくても、奇跡的に出会い深い愛情で結ばれる3人。見返りを求めず、ただ愛する人を守るために奮闘する彼らの姿に我々は本物の愛を目撃する。





以下ネタバレ



                            • -

連日満席と言われるくらい一部で注目されている作品らしいです。
「世界の片隅で家族になった3人。実話から生まれた魂を震わす物語」という言葉の通り、観ていて涙がでてきました。
劇場内でも鼻をすする音がたくさん聞こえてきました。
好きな人の側にいることが、家族でいることがこんなにも難しいものなんて。



友達と見終わったあと、「アデル、ブルーは熱い色」も涙が出てきたけど、あれは恋人同士のラブストーリーとして泣いてしまった。「チョコレートドーナツ」は同性愛者であることのやるせなさ、同性愛者の否定の物語になっていて悲しくなったということを話してました。
あらすじを読めば分かりますが、ルディとポールがゲイカップルであるという理由からマルコと引き離されてしまいます。
そこから二人はマルコを取り戻すため奮闘します。
二人が良い親であることを証言してくれる人がいる中、法をかざして二人を否定しようとする人たち。
ポールの上司が得意気な顔をしているのが許せなかった。
世界の片隅で生きる彼らから大切な人を奪って何が楽しいのだろうか。
誰もマルコの幸せを願ってくれない。
ゲイは気持ち悪いもの、悪影響を与えるものとして、側にいたいと願う三人の言葉には耳をかしてくれない。



この結末に涙が止まらなかった。
今こうやって文章を打ちながらも涙が溢れてきます。
好きな人と幸せになりたい、そんなみんなが持っている当たり前の願いが受け入れてもらえないなんて。
平等でいるべき法の人間が偏見の色眼鏡で見て、真実から目を閉ざしている。



ちょうど金曜日にmixiのニュースで、京都のあるお寺で同性同士での結婚式を挙げられるという記事が載っていました。
日本も早く同性婚を認めるべきとか好きな人と幸せになるのに性別なんて関係ないという好意見が多くある中、やはり目につくのは気持ち悪いや人類滅亡の糸口や少子化問題の話を書いてる人。
セクマイの友達と話をする機会が増えたため忘れがちになるけど、世間にはまだまだ偏見が残っているということ。



コメントの中で、当人同士が愛し合ってるなら紙一枚にこだわる必要なんてないんじゃないだろうかと言うのがあった。
店長は結婚願望がないために、本人達の気持ちだけでいいんじゃないだろうかとも思ってました。
でも実際、長年連れ添った恋人が入院したとき、家族じゃないという理由から病室から追い出されるケースはよく聞く。
愛する人の側に居られない苦しみをこれほど感じることがあるだろうか。
それに、一緒に暮らすにしても夫婦でないと色々と面倒なことが多いらしいです。
異性であればなんでもないことが、同性であるというだけで難しい問題になってくる。



紙一枚とコメントした人はたぶん同性愛に肯定的な人なんでしょうが、事実を何も知らない人だと思います。
紙一枚にどれだけの役割があるのか知らないんだと思います。
紙一枚が欲しくて必死に活動してくれている人たちがいることを知らないんだと思います。
その紙があれば「チョコレートドーナツ」でマルコは大好きなパパ二人と暮らせたんです。
15歳の少年の、15年のうちたった1年の幸せだった時間をもう一度取り戻そうとして頑張ってました。



少子化だなんだと言うならなぜ子供をきちんと育ててくれないんでしょうか。
子供が産めずに苦しんでる人たちがいっぱいいるのに、子供を育てる気のない人の元には可哀想な子供が懸命に生きようとしてる。
ポールがマルコに部屋を与えたとき、マルコは自分の部屋に驚き涙していました。
嬉しくて泣いていました。
愛の溢れた自分の家に涙を流していたんです。
母親はマルコに愛情を与えることを放棄してました。
そのマルコにとってルディとポールはどれほど大切な存在だったか。




都内では4月から上映が始まって、まだ上映中の劇場がいくつかあります。
地方でも6月や7月から上映が始まる映画館がいくつもあります。
興味のある人は是非とも観に行ってください。
観るときはハンカチをお忘れなくw
もしかしたら自分がセクマイであることを悲しく思うかもしれません。
だけどそれでも幸せな時間があったことを忘れないでください。
ルディとポールとマルコの生活はあんなにも愛に溢れて幸せだったのですから。




私はたまにレズビアンであることをツラく思うことがあります。
ヘテロカップルが当たり前のようにしていることを、私は出来なかったりするからです。
映画を見に終わったあとに入ったご飯どころで、彼氏の両親と初めて挨拶する彼女という場面に遭遇しました。
どこにでもある幸せそうな光景です。
私のところは片親だし、親にカムしてないので彼女が出来ても紹介できるか分かりません。
どこにでもある幸せが、私のとこにはないんだなと思ってしまいます。
でもだからといって自分が不幸だとは思ってません。
友達と映画見て、ご飯食べて、バカ言って笑って、普通に楽しんでます。幸せです。




レズビアンであることをツラく思うことがあるかもしれませんが、私は生まれ変わってもレズビアンになりたいです。
そして好きな人に好きだと伝えたいです。




あ、最後にこういうことを言うと台無しなんですけど、ルディのステージの格好はとても美人です。←
ポールに寄り添う姿は可愛い彼女のようでした。
そしてマルコを愛する姿は母親そのものでした。
激しくとても愛情深い素敵な母親です。
ルディがもし女性だったら惚れてましたw



この愛に溢れた映画を感じてください。